Saturday, March 10, 2012

東大の執刀医“外注”は英断か

*****************************************************************************
東大の執刀医“外注”は英断か

日本記者クラブ会員
石岡荘十

2012年3月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------
天皇陛下の心臓手術の執刀医として、東京大学が順天堂大学の天野篤教授を指名したことについて、評価が分かれている。

そのひとつは、メルマガ「頂門の一針」(主宰:渡部亮次郎 12?2?25)に掲載された広島県の外科医川上恭司氏の「 陛下の心臓執刀医に天野氏を選んだ英断」だ。その骨子は、「特に今の時代、人の命より党利党略を優先する傾向の強い時代にあっては、実力ナンバーワンではあるがアウトサイダーの一人である天野氏が代表として選ばれた事は奇跡的でさえある。腐敗した社会に比べ、心臓外科はまだ健全であったのだ。(中略)。この決定に携わった(東大の)方々の英断を称えたい」というものだ。

もうひとつの評価は、木曾一誠医師(栃木県・介護老人保健施設しらさぎ荘 慶應大学卒・心臓血管外科医)から筆者に寄せられた次のような見方だ。「今は安全にどこでもできる手術である冠動脈バイパス術(予定手術)を、(東大と順天堂大学が)チームを組む必要など医学的にはない。極めて異例なことと言わざるを得ない。こんな簡単な手術で、東大の心臓外科の顔は丸つぶれと見るのが普通に思えるのだが。(最初の)主治医は東大の循環器内科で、検討会(カンファレンス)で外科的治療を行うことになった。しかし、東大の心臓外科は信用できない。普通は他の施設に(患者を)紹介しているが、相手が天皇陛下なのでよそへは回せない。苦肉の策として、執刀医のみ天野先生におねがいした。(中略)執刀医は単なる技術者として呼ばれたことになる」手術の成否を握る執刀医を一私立大学の外科医に頼んだ、つまり“外注”したのは、東大の心臓外科に国内最高のVIPの手術を、自信を持って任せる執刀医がいないと判断した挙句の苦肉の選択だったのでは、という意見である。

川上氏は「興生総合病院」(広島県三原市・広島大学卒)の冠動脈バイパス手術などを専門とする心臓外科医だが、同じ心臓外科医の間でも、微妙に評価が分かれている。しかし、その一方で両氏に共通しているのは、誇り高き東京大学が、実は、世間がいうように、国内最高の医療機関ではなく、自前では外科医を賄えない弱みを持っており、在野の人材に膝を屈したという点だろう。両氏とも、東大が面子にこだわらずその分野のベストドクターを選んだその判断が「異例」であり「奇跡的」だったと言っているのだ。

木曾医師は執刀医を“外注”した経緯について「東大に限らず多くの施設では冷静な内科系の医師は、循環器内科で診断して外科的治療が適当と決めたら同じ大学、病院に心臓血管外科があっても、他の施設に紹介したほうがベターと考えた場合は、躊躇なく紹介状を書きます」と述べ、その上で「東大の英断はたたえたいと思います」と評価している。

東京大学からただ1人手術室で立ち会った小野稔教授は、今回の天皇手術では天野医師を手伝う一助手に過ぎなかったが、天皇の主治医という報道で、辛うじて面子を保った。「名を捨てて実をとった」ということだろう。

Tuesday, March 6, 2012

NYの小さな会社の、心打たれるメッセージ

NYの小さな会社の、心打たれるメッセージ

life.jpg

NYに「持続可能性、地球に優しい」をモットーに、より良いデザインの服や小物を作って販売する『HOLSTEE』という会社があります。彼らは起業するにあたり、最初に「事業計画」を書くかわりに、下記のマニフェストを書いたそうです。そして、その内容には心打たれるものがあります。シンプルだけど力強いメッセージです。なにかに行き詰まったり、落ち込んだり、新しい事を始めたいときや、モチベーションを上げたいとき、非常に勇気付けられる言葉です。ひとりになってじっくり読んでみてください。


これはあなたの人生です。
自分が好きなことをやりなさい。
そして、たくさんやりなさい。
何か気に入らないことがあれば、それを変えなさい。
今の仕事が気に入らなければ、やめなさい。
時間が足りないのなら、テレビを見るのをやめなさい。
人生をかけて愛する人を探しているのなら、それもやめなさい。
その人は、あなたが自分の好きなことを始めたときにあらわれます。
考えすぎるのをやめなさい。人生はシンプルです。
すべての感情は美しい。食事を、ひと口ひと口を味わいなさい。
新しい事や人々との出会いに、心を、腕を、そしてハートを開きなさい。
私たちは、それぞれの違いで結びついているのです。
自分のまわりの人々に、何に情熱を傾けているかを聞きなさい。
そして、その人たちにあなた自身の夢も語りなさい。
たくさん旅をしなさい。
道に迷うことで、新しい自分を発見するでしょう。
ときにチャンスは一度だけしか訪れません。しっかりつかみなさい。
人生とは、あなたが出会う人々であり、その人たちとあなたが作り出すもの。
だから、待っていないで何か作ることをはじめなさい。
人生は短い。
情熱を身にまとい、自分の夢を生きよう。

Saturday, March 3, 2012

働く人の絵画好きな絵



オルセー 美術館の印象派の絵画が並ぶフロアに、他の多くの絵画とは少し傾向の異なる作品があります。

作品名は「床に鉋(カンナ)をかける人々/Raboteurs de parquet」。
「ギュスターヴ・カイユボット/Gustave Caillebotte」の代表作のひとつです。

カンナで床を削る作業をしている3人の職人。
力強い腕や背中のライン、窓から差し込む淡い光と床の反射、壁際の暗い影。どれもリアルに感じられます。3人の息づかいや、木が削れる音までも聞こえてきそうです。

窓ガラスの向こうに見える、美しい曲線を描く鉄の柵は、カイユボットの作品に頻繁に登場するモチーフです。


絵画のテーマになりうるのは神話や聖書だけではない、という価値観はこの頃 既にありましたが、それでも当時の人々の目に、この絵は斬新に写ったことでしょう。


カイユボットは、19世紀後半のフランス・印象派の時代の画家です。あまり日本では知られていない画家かもしれません。当時のパリの街の様子や、日常の何気ないひとこまをテーマにした作品を多く残しています。
また、カイユボットは、画家であると同時に収集家(パトロン)でもありました。特に、印象派の画家たちを支援したことで知られています。
遺言で、所有していた作品はまとめて国立の美術館に寄贈したいという希望を遺しました。地方の美術館ではなく、個人の所有物にするのでもなく、リュクサンブール美術館へ。そしていずれはルーヴル美術館の所蔵にして欲しい、というのがカイユボットの希望でした。
しかし、これは簡単には実現しませんでした。
美術の世界で、当時まだ確実に認められていなかった印象派の作品を国の所有物にすることに対して反対する勢力があったためです(カイユボット論争)。遺言の執行人であったルノワールらの奔走ののち、2年後にようやく国家に受け入れられることになりました。

現在、それらの作品は、オルセー美術館へ移されました。

カイユボットが多くの印象派作品を買い上げ、保管し、まとめての寄贈を意図したことは、今日の私たちに大きな恩恵をもたらす結果となりました。 現在、オルセー美術館でたくさんの印象派作品を鑑賞することができるのは、カイユボットのおかげと